江戸と京を結ぶ中山道の要所であった、妻籠宿。
道の両側に土産物店、宿屋などが立ち並ぶ趣のある街道を、江戸時代の旅人気分で歩いてみては。
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かつては大きな鯉の形をした岩でしたが、明治24年の濃尾大地震で形が変わっていまいました。 5月頃には藤の花の咲く光景も楽しめます。
江戸時代の初期、ここに口留番所があり中山道を行く人々を監視していました。 少なくとも17世紀中頃までは妻籠に口留番所があったことが確認されています。
この建物は、19世紀中ごろに建てられた長屋の一部。昭和48年に解体復元されました。
囲炉裏などの部屋の様子や、石臼、糸枠、脱穀機などの昔の道具も展示されており、かつての生活をうかがい知ることができます。
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道の脇に木造の水車小屋を見ることができます。
代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年に桧をふんだんに使い建てられました。
文豪 島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。脇本陣奥谷は国指定重要文化財に指定され、現在は南木曽町博物館として一般公開されています。
歩き疲れたら、妻籠宿の中でちょっと休憩。
妻籠宿ふれあい館は無料で利用できます。
妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務めました。島崎藤村の母の生家です。
平成7年に江戸時代後期の間取り図を基に忠実に復元されたのが現在の建物です。
町並みと調和した、趣のある外観のお手洗い。
お手洗いは道沿いに2か所、観光案内所内のほか、駐車場にも設置されています。
江戸時代のはじめに制定された宿場は、一種の城塞の役割も持たされて整備され、宿場の出入り口には必ず桝形が設けられていました。
桝形とは、街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入しにくいようにしたものです。
当初、長屋であったものを解体復元した建物です。
妻籠宿における庶民の生活を代表する、片土間に並列二間取の形式をよくとどめています。
寒山拾得を題材にした双体像は国内唯一の珍しい絵柄とされています。
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文化10年、光徳寺住職が地蔵尊像の浮かび上がっている岩を蘭川から運んできて安置したものです。
妻籠宿は全国で初めての集落町並み保存に着手し、昭和43年より、寺下の町並みを中心に復元保存工事を始め、江戸時代の面影を残すことができました。
馬を飼育するための、厩(うまや)の跡も見ることができます。
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妻籠宿へお出かけの際は、ご宿泊はホテル富貴の森へお越し下さい。
妻籠宿からお車で約10分と、アクセスも便利です。
ホテル富貴の森は、信州 南木曽町の森の中にある静かな温泉宿です。
散策を楽しんだ後は、ホテル富貴の森の天然温泉でごゆっくりと温まり、おくつろぎください。
妻籠宿からホテル富貴の森までの地図